たまには音楽の話を。。

今年でDJをはじめて23年になります。
もともと音を奏でるほうでした。
はじめてバンドを組んだのは中学2年生、14歳のとき。初舞台は15歳のとき。
それから4年間パンクバンドをやっていました。ギターをやっていました。
高校は最初の3ヶ月だけ通って退学してしまい、アルバイトをしながらバンドを続け、
地元の藤沢や横浜のライブハウス中心に演奏していました。
バンド活動のなか、多種録音の面白さに目覚め、
毎日テープを使って自宅でオトを重ねて遊ぶ日々でした。
安価なシンセでリズムを録音して、そこからベースを重ねたりギターを重ねたりして、
すべて一人パフォーマンスのオトを作るのが面白くて、、
10代の後半は毎日そればかりでした。

それからバンドのメンバーに次々転換期が訪れ、バンド存続が難しくなってきました。
雑誌のイラスト描きやらTVCMでのCG制作などなど、
バブル期の恩恵を受けながら稼いだお金でアナログシンセなどの機材を買い揃えて、
多重録音からシーケンサーの打ち込みをやるようになり、、
なにせギターは練習しないとうまくなれないけど、打ち込みならラクだったしね。
とにかくひたすら電子音と戯れて音楽を生み出していました。

それからライブハウスから都内のクラブへ出入りするようになり、、
ちょうどその頃はセカンドサマーオブラブ全盛の時代、
テクノやハウスも次々と花開いていた頃で、日々ひたすら四つ打ちの楽曲を量産しては録音していました。
当時Harthouseから作品を頻繁にリリースしていたヨコタススムさんとセッションをしたり、
仲間と一緒にユニットを組んでテクノのライブをやっていたり、
この時期はひたすら制作、制作、セッションの日々。
バブルははじけたものの社会はまだ現在ほど景気も悪くなく、カネはありましたねー。
ほとんどパソコンや機材に費やしていましたね。
通信カラオケ用の耳コピーと楽曲プログラミングの仕事もチョイチョイやりながらスキルを磨いていたときもありました。

そんな感じで地道に制作していたものが増えてきて、
結果、オーストラリアやイスラエルのレーベルなどが次々と拾ってくれることとなり、
90年代に十数枚かの12インチシングルとアルバムをリリースしました。

 

それが何気なく遊んだつもりのDJプレイの魅力と奥深さにすっかりはまってしまい、
試行錯誤を繰り返しつつ23年経ち今に至ります。。

 

私は、ミュージシャンでもない、DJでもない、「音楽家」になりたかった。
そうそう、たしか中学の卒業アルバムに、将来「ミュージシャンに」とは書いてたよね。
音楽家・・・
それってオトを操る専門家だよね、たぶん。
カッチョイイーー笑
そして、なってやろうと思いました。

 

DJをはじめた当時は、、、
東京のクラブシーンもまだまだこれからという時代でした。
テクノDJならテクノしかかけないし、ハウスDJならハウスをかけていて、、
そこで、私はそれまでの音楽経験を活かしつつ、
全部をぶっ壊してやれ!と思っていました。

かつてトランスのパーティで、あらゆるものを根底からひっくり返されました。
特に93年ころ、オーストラリアのバイロンベイで体験した野外パーティが衝撃的すぎて、、
どうしてもこのスピリットを日本に持ち帰りたかったし、
ここまで衝撃を与えてくれたパーティシーン全体に恩返しがしたかったんです。
ただ当時の私はパンク精神が強かったようで。。
今度は自分が全部ぶっ壊して、グルンとひっくり返してしまえーー!
というような恩返しを。。。

それで、トランスのパーティでどんどんやっていました。
六本木Geoidとか、Equinoxのパーティでよくプレイしていました。
トランスのパーティで、テクノばかり混ぜていたりロックやブレイクビーツまで流したり、
こんな事をやっていたのは私一人だけでした。
「こんなのトランスじゃない」と批判されたり、
私の出番になった途端に睨みつけてフロアから立ち去る人もいましたよね。
「これはテクノですか、トランスですか? なんですか?」と言う人も沢山いました。
私は、その概念や、見えないボーダーラインをぶっ壊したかった。

もっと、純粋に、自由に、音楽そのものを楽しみたかった。

「なんですか?」と聞いてくる人にはきまって「何だっていいよ」と答えていました。
つっけんどんぽくてごめんなさいね。
でも私にとってそれが何であるか本当にどうでも良かったのです。
私の中にはそういう境界線が最初からほとんどないんです。

 

音楽って、再生している時にしかこの世に存在しませんね。
それに、今のオトは瞬間的にさっきのオトとなりどこかに消えてしまいます。
「これはテクノだろうかトランスだろうか」とあれこれ考えたり分類しているんでしょう。
そうこうしている内に今のオトはすぐさまさっきのオトとなって消えてしまいます。

 

もし「今」鳴っているオトを、なんの先入観もなく、
ありのままの状態で捉えられたら、、、

 

テクノでも、トランスでも、ロックでも、フォークでも、
それがどう呼ばれていようと、誰がどう分類しようと、
アナログだろうとデジタルだろうと、生音だろうと録音物だろうと、
そこにあるのはただの音波の流れです。
概念や分類ばかりに気がとられ、ありのままの瞬間のオトをキャッチしない、
そこにどんどん食い込んでいきたかった。

ひとつの流れを生み出していく中で、楽曲の持つ魅力そのものをあらわにしつつ
自分の価値観、受け手の価値観をどんどんひっくり返していきたかったのです。

 

日本にこんなDJがいたっていいよね、優れたDJさんは沢山いるんだし。みたいな気でいました。
だから、どんどんチャレンジしました。
かつてトランスシーンのパイオニアとも言われたこともありましたよね。
女性DJがまだ珍しかった時代にあって、とにかく異端な存在だったと思います。

 

小さい頃からオトオタクでした。
絵を描いて空想癖がある、たいへんに感受性の高い子供でした。
10歳の誕生日に両親にねだってギターを買ってもらい、
それが嬉しくて、ちっこい身体ででっかいギターを持ち、毎日練習していました。

音楽を聴くときはいつも、
「さーこれから音楽を聴くぞー」
とレコードに針を置いて、それから座って、ひたすら空間を揺らすオトの波に入り込み、集中していたものでした。
お気に入りの音楽を何度も繰り返して聴いては、時間を忘れて興奮していました。
音楽って、勉強や他の何かの作業の後ろで流れつづけてる、
そんな微妙な立ち位置なのはイヤだったのです。
いまだに、何か別のことをしながら音楽を流していることはあまり好みません。
クルマの中で運転中に新しい音源のチェックをするくらいと、
掃除のときビートルズ流してると楽しくはかどる位で。。。

 

中学生の頃は80年代で、西新宿の海賊盤レコード屋やらインディーズ盤を扱う店に頻繁に出入りして、
振り返ると本当変わった中学生というかマセガキというか、、マニアでしたよねー。
そもそも父親の集めていたロックのレコードをかけては楽しんでいたのが、
9歳の頃に細野晴臣さんの出す電子音に大ショックを受け、
その後すぐにYMOのX∞Multipliesが出たので買ってもらいそこから何かがはじまりました。
パンクバンドをやっていたので、パンクやハードコアも集めていたけど、
ジャーマンエレクトロなんかの電子音中心に買い漁っていました。
中学校には髪の毛たてて行ってたよね笑
そこでは音楽の話題が合う人がほとんどいなかったから、、、
情報収集も雑誌やレコード店に頼っていて、
なにか自分だけの秘密の楽しみのような感覚でした。
中学を出ると交流の場も拡がりましたが
とにかく音楽は、私の中の大部分を占めるすごく大切なものでした。

もちろん今でも人様の作品は大切に大切にしています。
DJだから当たり前なんですけど。。
ひとつの楽曲の魅力を100%以上引き出すには、
どういう体験を経てからその楽曲に到らせるかが重要で、、、
要はどのオトとマッチングさせるとより良く聴こえてくるか、
DJプレイの醍醐味の大部分はここにあると思います。

私は見せたりテクニックを披露するタイプのDJではないので、
単純に、このオト凄い!と思った印象以上に鑑賞したいし伝えたいんですよねー。。
その曲にとって最もしっくりくるタイミングを見つけたい。
23年間DJを続けてきて、そこはずっと変わりません。

 

前にもどこかに書いたことあります。
オトは、その時の自分のそのままが出てきます。
長いことやってると、それが手に取るようにわかる。

自分が迷えばオトも迷う、
自分が整えばオトも整う、

不安定な私だからこそ普段から自分自身を整えておくことが最重要事項なんです。
昔からライブ活動など頻繁にしていたけれど、
どうも私は自意識過剰で緊張しやすいタイプらしく、、、しかも気が短い。笑
そんなこともあり、次第に、自己修練とバランスは、自分のなかで最も大切なことになりました。
せっかく与えられた場で生半可なオトなど鳴らせませんから!!
自分自身をどんどん向上させていくこと、いまやライフワークのようになっています。

 

しかしそうは言っても私もただの人間
調子が悪いときもあります。。
いや、結構あります。笑
最初の10年位は、思うような音楽が出来なかった時などは悔しくて良く泣いていましたから。。
女性なので生理もあります。。
集中力が続かず立っているのもツライ時があるし、訳もわからず気が立っている時もある。
ホルモンの作用はまあ仕方ないとして、風邪でフラフラしながらDJするなどはあってはならないので
メンタル面以外にも体調管理もますます気を使うようになりました。

まあとにかく調子が悪いときは本当ダメですよねー。
オトを鳴らしてるけど活かせない。死んでいる。
聴こえてるけど聴いていない。。。

 

でもね、
それにひきかえ、

コンディションが整って調子がいいときのプレイは、、、
なかなか面白いですよ。

自分でも驚くべきことが起こります。

 

調子のいいとき、
私はなにをしているのかというと、、

 

実は、、
何もしていません。

 

全くなんにもしてないのです。。。

どこも動かしていない。
なのに動いている。

ただ、起こっていることを見ているだけです。

 

あれこれしようとするのをやめて、自分自身をすっと後ろに引くんです。
するとこういうことが起こる。
起こっていることを見ている最中、私はゆらゆら動いて、次のオトを探しだし、
確実なタイミングと確実な音域でオトとオトとを繋げています。
手はスルスルと動いて、次のオトをためらいもなく選び、
もともとこの瞬間のために生み出されたオトだったかのように、ぴったりとはめ込んでいる。

先のことはわからない。
だから何もしない、、、
でもいまこの瞬間には何をすればいいのか、最初から全て知っていたんだ。。。

 

いまこの瞬間のオトを拾っていると、瞬間と瞬間の間に無限の空間が拡がっているのが見えてくる、、
常にあれこれ考えているのが仕事のアタマはその時、
とても静かになっていて、
思考が止まり、
私はただ観察するだけの者となっている。
外は爆音なのに、自分の内側に静寂がひろがってゆく、、、

オトの波を身体全体に通しながら、
意識はまるごとオトの中に吸い込まれてゆく。
指は、停滞したエネルギーを絡めとってけし粒のように小さくして宇宙へ還しているようだ。
エネルギーを手のひらの中に持ってきて、少し遊んだら、流す。

捨て去る必要があるものは波と波をぶつけて逆相にして解放、
増幅する必要があるものは倍音にして解放。
中心にある光がもっと輝くから。
新しいエネルギーをここへ流して来て、さらなる光を添えましょう。

もっと輝いていた方がひらけてゆく。
オトの粒子と意識の粒子がくるくるとダンスを踊りながら
光が増幅され、もっと高いところへ。

高いところで
混ざり合い、まぐわいながら
光は純粋さを増していく。

全部が愛おしいから

全部を愛してあげられる。

光も闇もなにもかも。

 

オトとその感覚に浸って戯れていると、さらにもう一歩すすんで、

自分であるということさえも全部手放して、

ただ、ひたすら、オトの洪水に、完全に、身を委ねる。。。

そして、、
溶け合って、

自分がいなくなる。。

そこには、、
愛だけが、
バイブレーションだけが。ある。

 

そんな時はフロアの様子もとてもいいですよね。
どんどんまとまって、うねりが大きくなる。

 

まるで霊媒のようだと後から気づきます。
絶対的な瞑想状態のような感覚でしょうかね。
それはそれは気持ちいいのです。

そんなに毎回あるわけではないけどね!
完治してない交通事故のケガもあるし、普段からなにかと抑圧してしまいがちですから、
音楽を流してる間は心身のストッパーが外れるような感じですよね。

この状態になると、額が割れて、その中からあらゆるものが飛び出して行き、風通しが良くなり
そのとたん世界の全て、細胞の全てが息を吹き返したように完璧に整いはじめるのを見ます。
それら全部のことをリアルタイムで解っている、すでに知っている、という所に行き着く。
覚醒体験に近いのか、これがまさしく覚醒体験なのか、、、
ただし少しでも怖れや思考が入り込むと、そこの場所に長く留まることができませんよね。

 

2006年を境にこんな感じですね。
最初のときはそれはもうビックリしましたよね。
でも、何が起こってるのかが全部解っている状態ですから。。。
感動していました。
すごく込み上がって来て、、
涙を流しながらオトを出していました。

特にロングセットだといい感じに持っていけます。
時間がたっぷりあると思うと、なお安心して取り組めます。

 

私はのちヒーラーにもなりましたが、、
一旦回路を切り替えるとエネルギーの流れが見えるというか、わかります。
みんな、同じひとつのエネルギーを、引っ張ったり押し戻したり、離れたりくっついたり、尖らせたり丸くしたり、低くしたり高くしたり、そんなことをやっている。
ひとつしかない。。
この場では個と個に分かれていますけど。ひとつしかないんですよ。。生命も!
そして、そうやって流れて動いているからこその生命だと感じるのです。

 

音楽を流してる最中には、気づきもやたらとあります。
時々チャネリングみたいに頭の中で響く人との会話に目からウロコを落としながら音楽を流しているときもありますね。。
(この話は面白いから気が向いたらこのブログに書いてもいいかも)
さっきも書いたけど、オトは、鳴らしてる間しか存在しないもの。
だから「いまここの瞬間」に立つことができる簡単なツールなんですよね。

そのなかで思い出したか気づいたんだけど、
私はエネルギーに少し光をあてて流すということをするために、ここにやって来ました。
光増幅転送装置のようなもの。
だから自然とヒーラーになる道を歩んだのかもしれませんね。

人体も、物質も、オトも、思考も、感情も、光も、
かたちあるもの、ないもの、
すべては波動、バイブレーションであり、エネルギー。
エネルギーは流れたがっています。
留めたり溜めようとすれば淀みだして光が半減してしまう。。
光が半減すると、しんどくなる。
だから、流す。

でもまだなかなか完全発揮とはいきませんよねーー。。

抑圧のほうが勝ってくると、オトとの格闘がはじまる。。。
格闘しちゃうと簡単には抜け出せないんだな、、
まず自分の中で起こっている格闘をなんとかしなきゃなの。
格闘してることをわかった上で「それが良かった」とほめてくださる人もいますが。。
それと、またこの状態になりたい!と追い求めようとすると、
逃げられてしまいどうしても掴めない。
そういうもんですね。
2〜3年全く行き着けなくて、もう無理なのかも、と思うときもありました。

一筋縄ではいかないからこそ、やりがいがあるんだよね!
エネルギーの扱い方をマスターしつつ自分自身をますます純粋に高めていくに尽きますよね。

 

楽しいこと、つらいこと、すべてのプロセスを大事にしながら、重要だった2012を超え、音楽がどうしても鳴らせなかった停滞の2013も超え、さらに2014も壁にドカドカぶつかり、2015のここまで来ました。

2015は自分の中では明るく開けていますよ!
けっこう調子のいい時が続いてますね。
それと、もういい年齢になってきたということもあるでしょう、
もっともっと!というようなガツガツした気持ちは半減しつつあり、
自分の中にゆとりも生まれてきました。
山も谷も、苦も楽も、結局のところプロセス全体を楽しんで進んでいます。

で、はたして音楽家にはなれただろうか?
それはわからないけど、、自分にしか出来ないことがたくさんあると思います。
そのことは宝物のように大事にしています。
ないものを追い求めるよりも、すでに持っているものをどんどん磨くことに専念ですね。
だからもう、ならなくてもいいのかもね。
長いことほぼ100%音楽だけで生活しているので、職業なんでしょうが、
「仕事」と思ったことはほとんどないですよね。
とにかく夢中になっていたらこうなりました。

 

音楽は本当に素晴らしいですよねーー
音楽を通して様々な体験をさせてもらっています。
感謝感謝です。ありがとう。

 

これからも皆で集まって面白い体験を重ねていきましょうね。